教育

2009年5月31日 (日)

ほめて伸ばす

この前、NHKニュースを見ていたら、レストランや居酒屋などの「覆面調査」をしている会社の取材があった。そこの会社は以前は、そこの店の悪い所だけを報告していたが、ほとんど改善が見られないので、やめて、ほめる所だけを調査する事に変えたそうだ。店に提出する報告書は、店員やアルバイトのほめ言葉ばかりである。もちろん、おせいじではなく、目立たない、いい所を発見した内容である。例えば、アルバイトのAさんは、誰が見てなくても丁寧にテーブルを拭く・・・など。それを受けたオーナーは、店のミーティングで、店員さん達をほめるのだ。その結果、報告書では指摘しなかった、悪い所が自然に改善されるというのだ。人は褒められて悪い気はしない、褒められるとうれしいし、もっと頑張ろうと前向きになるものだ。反対に欠点だけを指摘され、怒られると委縮してしまうし、いじけてしまう。それが自然な人間の感情なのだろう。発展していく組織は、このようなリーダーがいる所かもしれない。

ほめて伸ばす 幼児教育でも大事だと言われている。私自身が身にしみて感じている。私の母親は、「自分の子供は褒めない、いい気になっていやな人間にならないように」という変わった教育信念があった。母なりの考えで、私たち子供を愛してくれた事は間違いないけど、おかげさまで、ほとんど母に褒められたことはない。それどころか、母は「他人はおせいじしか言わない、お前は、頭も悪いし、何も取り柄もないから、いい気なってはいけないよ」と私に言い続けた。深い愛情は心で感じていたので、親子関係は良好だったけれど、私は子供の頃、自分は救いようのないダメ人間だと思っていた。私の心はコンプレックスで一杯でイジケテいたと思う。しかし、小学校5,6年の担任の先生は、ほめて伸ばす考えの方だった。イジケテいる私をかわいそうだと思ったのか、やたら、私を褒めてくれた記憶がある。ひいきする先生ではなく、いい事をした生徒を皆の前で、称えてくれたりする。中学校でもそんな先生に出会い、私は少しづつ自分に自信を持ちはじめた。すると、自然に成績が上がっていった。いい先生たちに出会えて幸運だったと思う。それでも、母親から受けた「ダメ人間」の呪術を解くのは時間と努力が必要だった。正直、今でも完全に解けてはいない、自分で前向きになれるよう努力しないと、たまに、非常に自信をなくして落ち込む時があるのだ。それでも、私は愛情はたっぷりもらったから、立ち直れたのだと思う。どちらも欠けていたら、どんな人間になっていたか・・・。とくに、幼児期には愛情をたっぷりと、褒めることだ。(もちろん、時と場合で叱る事も大事)言葉を理解していない赤ちゃんだって褒めると、うれしそうな笑顔を向けてくれる。自分の子供にはこのように教育しようと思っていたけれど、子供に恵まれなかった。だから、今、縁している親戚の子や友達の子供に会ったら、笑顔で褒めるように心がけている。

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2009年2月 6日 (金)

大きな神様

犯罪を平気で犯してしまう人は善悪を学んでないのかしら?ニュースを見て、ふと思うときがあります。母は私が幼いころ、こんな話をしてくれた「あなたの両方の肩に、小さな神様がいるのよ。(つまり小さな神様は二人いる)誰も見ていなくても、常に小さな神様はあなたの行動を見ているのよ。そして、あなたの行動は逐一、片方の小さな神様が、天にいる大きな神様に報告をしているのよ」この話を聞いてから、怖くなりました。誰も見てなくても悪い事はできないんだと思いました。しかし、年齢が思春期辺りになると、この話は作り話だと思い、どうでもよくなりました。母はこの話の効果がなくなったころ、話の続きをしてくれました。「人は死ぬ瞬間、自分の人生を映画のように見せられ、最後に大きな神様に裁かれるのよ。この大きな神様の顔はあなたの顔をしているの。そう、最期は自分自身に裁かれるのよ」「なるほど・・・」と、何故か納得してしまいました。

この話はある意味、トラウマになってます。悪い事はやる気はないですが、ちょっとずるい事をしようと思うだけで、肩が重く感じて、小さな神様を思い出してしまいます。作り話のようで、どこかリアルぽく感じる話です。お陰さまで真面目に生きてます。母は偉大です。

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2008年5月 3日 (土)

忘れられない出会い

もう10年位前だが、友達が結婚して関西に引っ越した。何かに導かれるように、私は休暇をとり、友達の新居に遊びに行った。「ぜひ、お義父さんに会ってみて」と友達のお義父さんに会いに行った。お義父さんにお会いした時は75歳を超えていたので、すでに隠居されていたが、以前はある私立学校の初代校長先生だった。どんなに偉い方なのか、ドキドキしたがお会いしてみて驚いた。まず、失礼だが小さな団地住まいだった。玄関で迎えてきてくれたのは、まあるい顔のやさしそうな一人のおじいさんだった。友達から、お義父さんは何ヶ国語も話せて、すごいエリートの方だとうかがっていたので、ちょっとイメージと違かった。腰の低い柔和そうなおじいさんの姿に戸惑った。そのおじいさん、もと校長先生から、色々とお話をうかがった。

教育者の道に入ったのは、結婚して初めての子供が重度の障害をもって生まれた、悩み苦しんでいた時に、人生の師匠との出会いがあり、前向きに生きるようになった。その2年後に子供は亡くなってしまう。(その後子供は5人生まれる、友達は末っ子の息子と結婚した)それから教育者としての道に行く。できたばかりの学校の初代校長先生の苦労はいかばかりであったか・・・。校長先生は毎朝、一番に学校につき校門に立ち、生徒一人ひとりと挨拶をするのが日課だった。取材にきたあるカメラマンがその様子を写真に撮ろうとしたが、撮れなかった。なぜなら、生徒と挨拶をする校長先生のおじぎは深く、生徒の方が早く頭があがってしまい、タイミングがあわないのだ。生徒一人ひとりを、尊敬し慈愛の心で接していたのがわかるエピソードだ。やっと軌道にのってきた矢先、突然、最愛の妻が交通事故で亡くなってしまう。悲哀にくれていた時、師匠が一緒にお風呂に入りながら励ましてくれたそうです。その話をしながら、涙を流すおじいさんの顔は忘れられない。再び立ち上がり教育に力を入れた。教育は大事だ。恐ろしい間違った教育でそだった子供は銃を持ち戦争で戦う。まず、自分の幸福を願うなら世界の平和を願わなくてはならない。周りの環境が平和でなければ、個人の幸福もありえないからだ。もと校長先生は隠居なされてからも生涯、学校の為に尽力なされた、言わなかったけどおそらく、自分の財産も投資なされていたのだろう。本当に偉い人は謙虚である。腰が低く、人にやさしくそして明るい。

数年前の5月3日、おじいさんは入院先の病院で、ある新聞に初代校長先生の活躍が紹介されていた、この記事をうれしそうに読んだあと、眠るように息を引き取った。86歳だった。残念ながら私はお葬式に行けなくて弔電で失礼させてもらったのですが、ものすごい人数の弔問客だったそうです。初代校長先生の愛した生徒たちは、今、社会で活躍している。私はこの初代校長先生の出会いで教育に興味がわき、通信教育大学をはじめる時、迷わず教育学部を選んだのだ。あのやさしい笑顔は忘れられない。いつか、その学校に行って、初代校長先生の銅像に会いに行きたいと思っている。5月3日

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2008年4月11日 (金)

学級崩壊

友達と電話で話した、友達の子供が通っている小学校の話で、3月までの学級が崩壊していたとのこと。小学校3年生で。学級崩壊てマスコミとかの報道では知っていたが、身近で聞くと驚きです。小学校3年生て9歳くらいですよね・・・ひぇ~shock。クラスに何人かの子供が、先生の言う事を聞かず、授業中走り回ったり、他の生徒に乱暴したり。友達の娘も一回、縄を当てられちょっと怪我をしたことがあったらしい。他の先生も応援に入り、9人の先生がそのクラスを参観したり、父兄も交代で参観したりしてたとの事。先生が9人て、異常だわ。暴れる子供の親は、学校の教育が悪いからだと主張していたらしい。すべて学校のせいではないでしょう。問題は家庭でしょう。子供が暴れるのは何かのメッセージを出しているのだと思う。学校側は父兄の苦情におびえているよう。けれど、本当にかわいそうなのは、乱暴をする子供だと思う。今、友達の子供は4年生になりクラス替えで、落ち着いたクラスで元気に学校に通っているらしい。

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2008年1月30日 (水)

恐怖の幼稚園

私は幼稚園時代の記憶がはっきりある。私が通っていた幼稚園は、恐怖の幼稚園だった。オカルトではなく、先生が厳しく怖かった。お遊戯の練習の時、ちょっとよそ見をしただけで、外に立たされた。軍隊のように返事の練習もさせられた、声が小さいと何回も返事をさせられた。私は精一杯声を出したのに、「聞こえない!もう一度!」と怒鳴られた。疲れてますます声が出なくなる、辛かった。個性は認められず、他の子どもと違う事をやると、ひどく怒られた。暴力はなかったが、先生はひたすら怒鳴っていた。折り紙がうまくできない子、うまくお遊戯が踊れない子、失敗した子は見せしめのように、皆の前で怒鳴られた。どこかの国の収容所みたいだった。とくにやんちゃな男の子はよく怒られていた。男の子は外に立たされた時そのまま、脱走する子もいて、大騒ぎになったこともある。私も一回、チラチラ雪が降っている日、外に立たされたことがある。皆が帰ったあと、再び説教がはじまり「ごめんなさい」と謝って帰ることができた。立たされた理由は、私がお友達を驚かせた理由を言えなかったからだ。ふざけて驚かしたのだが、友達が大声を出しすぎて怒られた。理由なんてないよ。今だったら問題になる幼稚園でしょう。先生の笑った顔なんて記憶にない。一体どうゆう教育方針だったのだろう?当時の園長先生に聞いてみたい。私が子供の頃は、先生は偉いという風潮で親達は問題視しなかった。(私が知らないだけかも?)私は子供の頃から、人前で自分の感情を出すのが苦手で、幼稚園で泣くことはなかったが、他の子供たちの泣いている姿はよく見かけた。そんな幼稚園が大嫌いで、一方的に怒る先生が大嫌いだった。今、友達にこの話をすると、「よく幼稚園時代の記憶があるね~幼稚園は楽しかったしか覚えてないよ」と感心される。しかし幼稚園時代、一緒だった友達も私と同じくらい記憶がある。皆「怖い幼稚園だったね」と言っている。それだけ強烈だった。子供だから忘れるだろうと安易に考えてはいけない、子供だからこそ、心で感じやすく傷つき、その傷が一生引きずることがある。子供時代に事件や事故に巻き込まれ恐怖体験をした子はかわいそうです。もし不幸にも巻き込まれてしまったら、親や家族の愛情で乗り越えられるでしょう。私も家族の愛情があったから、恐怖の幼稚園に負けなかったと思う。卒園式のとき、やっと、この幼稚園から解放されるとうれしい気持ちだった。しかし、鬼にみえていた先生が号泣していた姿は忘れられない。もっと早くみたかった。

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