感想文

宮沢賢治

宮沢賢治博物館に友達と行くと「宮沢賢治って、裕福な家だったんだ、ずっと貧しいイメージがあった」と言われることがある。そのようなイメージを持っている人は割と多いのではないだろうか。もし、この会話を宮沢賢治が聞いたら喜ぶかな?そう、宮沢賢治は裕福な家庭に生まれ、ちゃんと学校をでて教養を身につけている方である。病気になるまでは健康な身体で、愛する岩手山に何回も登山したりして、バイタリティーのある青年だった。宮沢賢治の素晴らしさは、優れた文学を残しただけではなく、身につけた教養を、貧しい農民を救うために尽力したことである。それは偽善ではなく、仏教思想の慈悲の心からの行動である。貧しい農民の苦悩と同苦し、人の為につくした所が素晴らしいです。しかし、当時は賢治の心がわからない人から、批判された。それでも賢治は負けずに自分の信念を貫いた。賢治自身も深く苦悩したのだろう、たどりついたのが法華経だった。宮沢賢治の作品の魅力は、人生を迷い苦悩しながらも、現実から逃げず、自身と戦っている精神が反映されているからだと思う。時間で考えると短い生涯だけど、今でも人の心をとらえ影響を与えてくれる。肉体はいつか滅びるけど、本気の想いは時を越えてずっと生き続ける。

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宮沢賢治作品を読んで

宮沢賢治の有名の詩、「雨ニモマケズ」の最後の一文、〈サウイフモノニ ワタシハナリタイ〉とあるように賢治は、神様のようにできた特別な人物ではなく、我々と同じく、悩みながら一生懸命生きてきた人間であったと思う。宮沢賢治は裕福な、質屋の長男として生まれた。当時の岩手県は水害、飢饉が続き、農民は貧窮であえいでいた。賢治の質屋にやってくる農民のつらい姿を見て、賢治は苦しんだ、もし賢治が他人事だと思う人間だったら、それなりに楽に生きられたかもしれない。その体験がのちの人生に影響をおよぼす。もともと賢く、文学、芸術多岐に渡り才能があった。その才能を苦しんでいる農民のために尽くした事がすばらしいのだ。20代の時、法華経と出会い、日蓮宗の熱心な信者となった。浄土真宗の父親に改宗を勧めるほど熱心だった。しかし理解しない父親との確執が生まれる。文学によって大乗仏教の真理を顕現することも信仰のひとつだという忠告を聞いて、猛烈な勢いで童話を書いたという。もし、賢治が法華経と合わなかったらこのようなすぐれた作品はたくさんなかったかもしれない。そして、同じく賢く、賢治のよき理解者だった妹トシの存在も大きい。しかし妹トシは25歳という若さで病死する。その深い悲しみの後、さらにすばらしい作品が生まれる。このころの詩「春と修羅」は当時の詩壇でかなり評価された。(しかし生前、作品はほとんど売れなかった)

「銀河鉄道の夜」は宗教と死後の世界をファンタジーと融合させて、我々に問いかけてくるような気がした。生あるものは死は免れない、どんなに金持ちでも偉い人でも、死は早かれ遅かれ皆に平等にやってくる。ならば問題はどう生きるかだ。物語の中で、ジョバンニはいう「・・・・・・僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸いのためならば僕のからだなんか百ぺんやいてもかまわない」「うん。僕だったそうだ」カムパネラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。「けれどもほんとうの幸いは一体何だろう」ジョバンニが云いました。「僕わからない」カムパネラばぼんやり云いました。「僕たちしっかりやろうねえ」ジョバンニが胸いっぱい新しい力が湧くようにふうと息をしながら云いました。何気ないこの二人の会話が心に響く。ここで前向きな気分になるから好きだ。最後にカムパネラのお父さんは冷静に、息子の死を受けとめているようだが、堅く時計を握ったまままたたきをしたり、川下の銀河のいっぱいにうつった方へ眼を送ったりする。死を理解しょうとしているがどうしても抑えられない、内面の悲しみの深さが伝わる。「銀河鉄道の夜は」傑作だと思う。

「虔十公園林」という童話で、主人公の虔十はいつも笑っていた、子供たちは虔十を足りない人とばかにしていた。ある日、虔十は親に杉並七百本、ねだり買ってもらう。周りの人に馬鹿にされても、批判されても虔十は、杉を植える。杉の周りに子供が集まるようになった。ある日、平二に「杉を伐れ!」といわれる、虔十は「伐らない。」と一生の間のたった一つの人に対する逆らいの言だった。それから虔十は病気で死んでしまう。ずんずん何十年もたって、虔十が植えた杉の所は「虔十公園林」になった。かつて、杉に集まっていた子供たちは、立派な大人になった。そして今も「虔十公園林」に子供が集まっている。この物語こそ、宮沢賢治が望んだことだと思う。自分の行動は、今は小さな苗だけど、やがて立派な大樹となり人々を幸福にしていくのだと。賢治は、人生の後半に青年に稲作法を講義したり、無料で肥料の相談にのったりした、それは亡くなる前日まで続けていたという。当時は「お金持ちのお坊ちゃんのお遊びだ」と冷笑した人もいたという。賢治は周りからなんと言われようが、自分の信念を貫いた。死期を悟っていたのだろう。真剣な使命の行動は「虔十公園林」のように輝く時が来ること信じていた。昭和8年9月37歳の若さで、宮沢賢治は永眠する。賢治の予想以上に、賢治の願いの杉の木は広がり、現代も生きている。しかし現代の自然破壊や公害等々の問題を見たら、賢治は嘆くかもしれない。人間が悩みのない人生はないように、問題がない世の中はないのかもしれない。でも、賢治の想いは人々の心に生きている。

たとえ肉体は滅んでも、想いは残る。誰が植えたか分からないが、植えられた木は大きく伸びていくように、時を越えてその人の想いは生きていくのだ。

宮沢賢治の作品は、自然を愛し、森羅万象の美しさを文学という形にした、また人間には避けられない苦悩、愛するものとの死別。真実の幸福とは。人間の身近で、深い所の真理の探究が、時代を超え人の心をつかむのかもしれない、いつ読んでも新鮮な感じがする。それは読む側の年齢と、生活、精神の状況によって感じるところも変わると思った。私もまた何年カ後に読んだらまた違う角度から見るだろう、と北上川の流れを見ながら思った。

私事ですが、今年は私より若い人、親しい人がたくさん亡くなっていった、生前は大変お世話になりました。どうか安らかに、ご冥福を祈ります(合掌)

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