映画「クライマーズハイ」 全体的にはよかったです。2時間半は長く感じませんでした。役者さんもとてもよかったです。でも、私が原作を読んでいないので、わかりずらい所がありました。また、淡々と画きたいのか、感動的に画きたいのか、なんかそこら辺が中途半端なような気がしました。母子が新聞を買いにきたシーンで、深い意味がありそうな感じがして、深読みしすぎてしまった。このシーンは悠木(堤真一氏)のひらめきが、後のセリフの説明ではなく、感覚でわかるように画いてほしかったと思いました。
細かい突っ込み所・・・ ○ファッションとか雰囲気を1985年にしてるのに、社長(山崎努氏)がペットボトルの飲料を飲んでいるのは違和感がありました。当時はまだ缶ジュースが主だったと思います。
○セクハラという言葉は当時はなかったです。(話をわかりやすくする為かな?)
○始めに悠木が子供と空港で別れるシーンが説明不足。子供が墜落した日航機に乗っていたかのように誤解しそうです。あと、悠木が犠牲者名簿を見て、自分の子供と同じ歳の子を見つけて落ち込むシーンもわかりずらい。ここは多少感情移入できるようにしてもらいたかった。 1985年8月12日、夜テレビを見ていたら、日航機消息不明!という速報が入ってきた。そのニュースを伝えてたアナウンサーの表情がこわばっていたことを覚えています。坂本九さんをはじめ520名の尊い命が失われました。史上最悪の事故に、報道も戸惑ったでしょう。プライドと情と野心を胸に報道現場の混乱の中で戦った人たち。クライマーズハイは「登山時に興奮状態が極限まで達し、恐怖感が麻痺してしまう状態」だそうです。報道は登山のようにやるー。当時はメールどころか携帯電話もない、現場に足を運び、悲惨な現場でも冷静に状況をいち早く伝えるために、一本の電話を求めて走る。ボロボロになって何度も走る。それでも、その努力が不意になる時もある。でも、目標を目指し再び走る。当時、墜落事故の新聞記事を読みながら何度泣いたことか・・・特に犠牲者が必死で書いた遺書が公開された時は号泣でした。この事故のニュースは記者の強い思いが感じられました。
許せないのは、当時は、写真週刊誌がはやっていた。今では信じられないけど、週刊誌に犠牲者(遺体)の写真が大きく掲載されていたのだ。悲惨な現場を見て、よくそんな非情な事ができたと思う。それは本当にひどいです!事故で4名の生存者がいらした、悲惨な中で希望の光を感じた。しかし、その後、あるマスコミが生存者の人達を追い、信じられないデマ報道がされたのだ。(これだけではない)売れればいいというもうけ主義見え見え。私は子供だったけど嫌悪感を感じた。
社会情勢では、3日後の15日に中曽根首相(当時)が靖国神社に参拝をしたのですね。色んな意味で激動の年だったのだと思いだしました。人生一度は、勇気をもって、必死に何かの登山をして、頂上にたどり着き空を仰ぎたいと思いました。
最近のコメント