心と体

2009年9月 9日 (水)

外傷の治療法

最近は、外傷の治療法の常識が変わってきました。従来、傷口を消毒剤で消毒し、乾燥させるのが一般的だったが、今は湿らせて治した方が早く治ることがわかりました。傷口は水で湿らしたガーゼなどで覆い乾燥させない。数日後、痛みもなく、早く、きれいに治ります。

私は5歳の頃、足に熱湯がかかり、大やけどをしてしまいました。足の皮はほとんど剥けてしまいました。非常に痛かったです。母親は冷やした後、湿らせたガーゼを私の足につけて、包帯でぐるぐるに巻きました。夜だったので、私はそのまま寝かされました。寝かされた時は、不思議と痛くなかった記憶があります。次の日 病院に行きました。「やけどの跡は残るでしょう」と言われました。それから、数十年、現在、私の足にやけどの跡はあとかたもないです。全くありません。当時、跡が残らなかった事は奇跡だと言われましたが、現在の常識では納得です。数十年前の奇跡の疑問が解けました。母親のとっさの行動が効を奏じたのでしょう。母は何も考えず治療してくれたそうです。愛情の本能はすごい!感謝です。

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2009年5月21日 (木)

寿命

自分の勝手な考えですがー

はたから見ると、神経質なくらい健康に気をつけている方っていらっしゃいます。健康食品やサプリメントを食べていたり、ちゃんと運動をしていたり。特に何もしていない私としては尊敬してしまいます。でも、あれだけ健康に気をつけているのに、急に体調を崩して亡くなってしまうことがあります。最近ではのんちゃんのお母さん・・・。健康に気をつけて悪い事はない!気をつけた方がいいに決まっている、でも何故?・・・と、悲しくて色々考えてみました。人はそれぞれ寿命がある、もちろん誰も自分の寿命はわからないです。でも、人間は本能のどこかでは、自分の寿命を理解しているのかもしれない、本能で寿命が短いと感じた人は、もっと生きたいから、健康に気をつけよう、という感が働き、本能に支配されるかのように、健康に対して神経質な生活をするのかもしれない・・・。だから、そのような方は、運命できまっていた寿命を、自分で延ばしたんだと思います。きっと、のんちゃんのお母さんも寿命を延ばして、やりきって亡くなったんだと思いました。そう考えたら気持ちが楽になりました。

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2008年12月 4日 (木)

乳がん検診

先月、生まれて初めて乳がん検診を受けました。方法はうわさで聞いていたので、覚悟していましたが。受けたことのある女性はわかりますよね。びよ~ん、むにゅ~、いてて・・・(。>0<。)触診というのもやります。痛いから恥ずかしい気持はとびます。二週間たって今日、結果がきました。「今回は異常なしです」ホッ(*^ω^*)ノ彡

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2008年11月24日 (月)

エンドトキシンと花粉症

NHKBSテレビをつけたら、興味深い内容の番組がやっていました。途中から見たのですが、目から鱗でした。

番組のHPから NHKスペシャル 病の起源 第6集「アレルギー~2億年目の免疫異変~」20世紀後半、先進国で激増するアレルギー。花粉症とぜん息の急増の背景には、意外な事実があることがわかってきた。「エンドトキシン」という細菌成分が多いほど、花粉症を発症しないという。エンドトキシンの最大の発生源は家畜の糞(ふん)。糞に触れることのない清潔な社会がアレルギーを生んだともいえる。俳優の村上弘明さんが2億年前の起源にさかのぼり、アレルギー急増の謎に迫る。

海外の実験調査で、家畜と触れ合って育った子供は、花粉症になっていないのです。家畜の糞にあるエンドトキシンという細菌成分がいいらしい。日本も昔は家畜と共に生活をしてた家庭が多かったのです。生活が近代的に変わった昭和30年代以降から、急激に花粉症が増えてきました。家畜とは無縁の生活になったときからです。子供といっても、1歳までに、家畜と係わる生活をすると、アレルギー体質にならないそうです。現代は健康の為に細菌を嫌い、生活に化学的なものを取り入れ、清潔な生活になりました。しかし残念な事に、人間の為になる細菌まで、排除してしまったようです。ちなみに人工的にエンドトキシンを作っても効果はないそうです。私も花粉症です。春は憂鬱なのです。今さら家畜と触れても遅いのでしょうね。

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2008年11月18日 (火)

美穂子が教えてくれたこと

親友の美穂子が癌と戦った記録ー

「ときたま、左足に激痛が走るんだ」行きつけのお好み焼き屋で飲みながら、親友の美穂子がポツンと言った。「何?何かした?」私は一応きいてみた。「わからない、外科に行ったけどわからないし、整体でマッサージしてもらっても痛みがとれない」全てはこの会話が始まりだった。その頃の私は全く病気の知識はなかった。なんのアドバイスもできなかった。それから二、三ヶ月後、美穂子から電話があった、電話口で泣いていた。「足の痛みは、内臓からきてるかもしれないと言われたから、内科へ行ってみたら、私、癌だって・・・」「ええー!!」私はとっさに「大丈夫だよ、美穂子、絶対治るから」と励ました。いきなり本人に告知するなんて・・・それにも驚いた。ようするに、左足の神経の所に癌の腫瘍がおいかぶさっていたから、足が痛かったのだ。それから美穂子は入院して手術をうけた。悪性の腫瘍はきれいに取れた。しかし、足は杖なしでは歩けなくなった。

美穂子の癌腫瘍は世界でも珍しい種類で、転移しやすいとてもたちの悪いものだった。一旦は退院したものの、すぐ転移が見つかり、再び入院、きつい抗がん剤治療。本当の戦いはこれからだった。美穂子は明るく心やさしい性格だったので誰からでも好かれていた。いるだけで周りの空気をあたたかくする人だった。私らは幼稚園から一緒で、お互い、一番の悩みを真っ先に相談し合う仲だった。一生の友達だと思ってた美穂子が死ぬなんて、ありえない!きっと奇跡が起こって美穂子は元気になる。なるに決まっている。と私は自分に言い聞かせた。美穂子も「癌に負けない、がんばる」と誓った。治療で髪の毛が抜けても、美穂子は明るく病院の人気者だった。お見舞いの友達が絶えることはなかった。自分が危篤になる直前まで、同じく入院患者の友達を励ましていた。

子供の頃から、美穂子はいつもあせっていた、時間を惜しむように何かあせって生活していた。色々と趣味を広げて、色んな事に挑戦していた。私は呑気に「もっとゆっくりやればいいのに」と思っていた。今思えば、本能のどこかで、自分が短命だとわかっていたのかもしれない。

美穂子は一度も「死にたくない」と泣く事はなかった。美穂子の日記帳には、家族や友人に対する感謝の言葉しかなかった。ある日、美穂子は私に言った「病気になったのが私でよかった、他の人(家族)だったら耐えられないから」今でもこのセリフは忘れられない。美穂子は本当に強い人だった。自分の事よりも両親のことを心配していた。美穂子の願いは通じた。美穂子が社会人なってすぐ、保険会社に勤めていた友人の頼みで、いやいや、しかたなく高額な生命保険に入ったのだ。それは一家の大黒柱が入るようなものだった・・・。もちろん保険に入った時は健康だった。美穂子が亡くなり、支払われた保険金は両親の生活を守ったのだ。美穂子の入院費などで、財産を無くしていた両親は、保険金を生活で必要な分だけ受取り、後は人の為に役にたつ所へ寄付をした。もちろん両親はお金よりも娘に生きてもらいたかったけれど、生きていくには多少のお金は必要である。意外な形で美穂子は、両親を守ったのだ。

医師から余命の宣告はなかった。世界でも珍しい癌腫瘍だったから、医師もわかりかねたのかもしれない。美穂子は約三年間、癌と戦い霊前へと旅たった。私は美穂子の最期には間に合わなかった。しかし、美穂子は家族に見守られ、ふーっと大きく息をはいて、安らかに永遠の眠りについた。全身に癌が転移していた患者とは思えない、奇跡のような安らかな最期だったらしい。今にも寝息が聞こえてきそうな、半眼半口の安らかな死に顔だった。顔は色も白くきれいだったので、口紅以外の化粧は必要なかった。亡くなる六日前、私が美穂子と最後に交わした言葉は「ありがとう、またね」だった。告別式のときも私はこの言葉をかけた。

美穂子の七回忌が終わってから、美穂子の両親は安心したようにあいついで亡くなった。(高齢であった為)あれから10年目の秋。美穂子の死によって、私の人生観は変わった。人はどのように亡くなったとしても、たとえ早かろうが、遅かろうが、それが問題ではなく、最期の一瞬が大事だ。最期の一瞬に、人生が総決算され結論が出るのだと思う。はたから見たら幸福な人生のようでも、不幸な人生のようでも、心こそ大事で、自分の心に嘘はつけないものである。その答えは顔に表われる。結局、人間は生きたようにしか死ねないのだと思った。

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2008年6月20日 (金)

健康診断

昨日、市の健康診断を受けました。財政難でしょうか、血圧と採血とレントゲンだけでしたが。血圧が94-52でした。ガーン((+_+)) 看護師さんに「まー低いわね!」と怒られました。今まで、何にも問題なかったのに~。どうりでここ最近、朝、なんかフワフワした感じで力が入らなかったのかな?これでは献血できないよ~。(献血好きなんです)マンションの友達に「どうしたら血圧上がるかな?」と聞いたら、「みきみきさん、怒ればいいんですよ!」と真顔で言われました。(爆)山田く~ん、座布団一枚~!

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2008年4月19日 (土)

おたふく風邪?

2年前くらいの話だが、朝起きて顔を洗って、フッと顔を上げて鏡を見たら、別人が鏡に映っていた、「げっ!顔が腫れている!」顔がフグのようにぷく~と腫れていた。びっくりして、とりあえずマスクして近所の病院に駆け付けた、そしたら「おたふく風邪でしょう、紹介状を書くから○○大病院に行ってください」と言われたので、大病院へ行った。やはり「おたふく風邪」と言われた。「あの~私、幼稚園の時、おたふくはやった記憶があるのですが・・・」「不完全燃焼だったのでしょう、大人になってからでる事もあります。採血をします、一週間後にまた来てください。しばらくは家でじっとして、なるべく人に会わないようにしてください」と言われてしまった。旦那に会わないわけにはいかない・・・おたふくはやったらしいので大丈夫かな?と不安な一週間を過ごした。仕事も休んで暇だったので、自分の顔が膨れてておもしろいので、写メールで友達に送って笑ってもらった。自分でも自分の顔に笑ったわ。一週間たち腫れが引いた、そして再び病院に行った「おたふく風邪ではありませんでした。熱もでなかったんでしょ」「え~!!ではなんだんったんですか?」「いや~採血の結果何の異常はありませんでした。ちょっとわかりませんね、とにかく腫れが引いたのなら問題ないでしょう」えええ~それで終わり~?私の一週間返してー!家族にはバイ菌扱いされ、仕事をヒンシュクかいながら休んだのに・・・一体なんだったのだろう?人に笑われただけだった。

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2008年2月28日 (木)

花粉症

関東ではすでに花粉症の季節突入でしょうか?岩手県ではまだ雪がちらついてるので、もう少し先でしょう。もともとアレルギー体質の私も花粉症では悩まされた、その年によって症状が軽い時もあるし、ひどく苦しむ年もある。ひどいと、くしゃみが止まらなく、ティッシュ箱は手放せない。コンタクトレンズも入れられない時もあったし、夜、横になると苦しくて眠れない・・・。テレビや雑誌で、この食べ物が花粉症を緩和する、と紹介されはものは試してみた、ヨーグルト、ミントティー、甜茶、東頂ウーロン茶などなど。どれもきいた気がしなかった。その時だけいきなり飲んでも遅いのだろう。ただ東頂ウーロン茶はおいしくてはまった、無印良品でわりと安く売っている。マスクをして予防するしかなかった。市販の鼻づまりの薬は、喉が渇いたりするからつらい。結局、近所の病院で診察してもらい、いただいた花粉症の薬が一番、楽にきいた。薬にたよってばかりでは・・・と思い、なるべく飲まないように努力した。しかし以前、耳つぼダイエットで体質改善をしてから、花粉症がだいぶ軽くなったようです。やはり体質改善か。まだ改善して二度目の春だからはっきりいいきれないが、今年はどうなるか~?春は好きなのにweep・・・憂鬱になる。

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