通教の大学をやっているというと、「資格を取るの?」と聞かれます。私の場合はそのようなしっかりした目的ではありません。ただ、高校生のとき、自らあきらめた大学進学を後悔し、社会に出てから大学への夢が膨らんだのです。でも、もうその時には、受験するパワーも学力も落ちていました。そんなとき、友達が先に通教をやっていました。受験がなく、学費を振り込んで申し込めば入学できるというので、飛び付きました。しかし、想像以上に大変でちょっと後悔しましたけど、今はやってよかったと思います。
高校生の時、私は疲れていました。目的もなく大学に行くのは、無駄なような気がしていました。
実家の周りは同じ歳の子供がたくさんいました。私らの父親は、高度成長期を戦ってきた世代で、いい大学、いい会社に入って、いい結婚をするのが幸福な人生という考えが一般でした。母親は専業主婦が当たり前、興味あることは、夫の出世と子供の成績という感じで、教育ママばかり。主婦たちの井戸端会議の話題は、子供の自慢と、他人の家庭のうわさばかりだったそうです。(母曰く)幼い頃は近所の友達と仲良く遊んでいましたが、小学校に上がってから、親同士が、子供の成績等でライバル視するようになりました。母親たちの戦いに子供たちも巻き込まれました。幼馴染の家に遊びに行って、そこの家のスキャンダルを探ってきて、親に言いつけるようにな子もいました。スパイみたいに。そうなると、幼馴染たちの関係はギクシャクしちゃって、だんだん離れて行きました。
中学生になると益々、ライバルの火花が飛ぶようになりました。小、中学校までは同じ学校でしたから、勝負は高校受験になりました。その頃には何故か、私は幼馴染の中では、劣等生とレッテルを貼られていました。私はどんぐりの背比べだわかっていたので、気にしていませんでしたが。周りの母親たちの見栄の張り合いは怖かった記憶があります。なんて愚かなんでしょう。高校は私を含め、皆、同じ公立高校に合格しました。他のお母さん方は、劣等生の私と同じ高校だったのがショックだったようです。だ・か・ら~どんぐりの背比べだって!言っているのに~!私の母なんて「お前って、馬鹿じゃなかったのね」って、自分の娘の成績表(特別よくも悪くもない)を見ても、救いようのない劣等生だと思い込んでいた、母がすごいと感心してしまいました。
同じ高校生に進んでしまった、幼馴染たちは今度は大学受験の戦いに投入しました。私はいい加減疲れてしまい、自ら白旗を上げました。その頃の私にとって、大学受験は運動会の走競争で一等賞をとって、皆に褒められる、ほんの一瞬の喜びだけの価値しかなかったのです。ライバルよりいい大学に合格して、褒められて、優越感を感じたら終わり・・・それ以外の意味は何もなかったのです。目の前の道が何も見えなかったのです。周りの環境に一番振り回されていたのは自分でした。もし、あの頃、周りを気にせず、しっかりと目標を持って勉強していたら、人生変わっていたでしょう。過ぎた事を後悔してもしかたないですが。だいぶ遅くなったけれども、当時、逃げてしまった弱い自分を乗り越えるために、通教をやり遂げたいと思ったのです。それと、教育学部なので自分で自分を教育し直す意味もあります。・・・なんて、まだ青いね、わたし。
現在、実家の辺りは子供たちが皆、結婚や独立して家を出ていってしまい、高齢者ばかりの町内になってます。私は苦い思い出ばかりなので、実家の方には住みたくないと思って、家をでたけれど、幼馴染たちも皆、実家から離れて暮らしています。苦い思い出なのは、私だけではなかったかもしれない、と思いました。いつか、幼馴染たちと無邪気に遊んでいた頃に戻って、お茶でも飲めたらいいなと思います。
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